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クリスマス

ホワイトクリスマスになりましたが・・・

今年はツリーも飾らないまま、当日を迎えました。

飾ろうとしていた矢先に、実家の父が亡くなって・・・それどころではなくなった。

でも、当初の予定通り・・・長女の友達が来られてパーティをしました。


長女の連絡ミスで・・・私は24日にするのだと思っていたら・・・23日と24日の二夜連続だと言う・・・

エエエッ・・・・聞いてないよ。


23日は長女の友達が手作りのケーキとオードブルとシチューを持ってくることに・・・

予定では午後六時に到着のはずが・・・・

料理に予定以上に時間が掛かっていると・・・

長女以外の家族は、普通に夕食を食べて・・・

会場となる客間を覗くと、長女がポツンと待っている・・・

なんと・・・到着したのが八時半・・・(笑)

家族は食事も終わったので、厨房を解放してあげた

ケーキの飾りつけと、シチューを温めるのと・・・ホットプレートを出して、クレープも作るとか・・・

当然、彼女らは我が家にお泊りです。

恐怖DVDを観ながら・・・朝を迎えたよう・・・・

で・・24日は・・・同じメンツで富山駅前のシャイゼリアに行きなすった・・・

その後は・・・またまた・・・お泊りですわ。

で・・長女以外の家族は・・・別のイタメシ店に出掛けたのです。

イブに外食したのは初めてですわ。

それだけ息子が成長したって事です。

長女が居ないので・・・・チョットさみしかったです。

そのうち・・・次女も抜けて・・・何年か後には、夫と私と息子の三人になるかも・・・


クリスマスプレゼント・・・・何年も頂いてないですわ。

さみしいけど・・・・仕方ないですね。子供優先だもの・・・・
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我が家の風物詩(?)

年末の風物詩・・・・我が家の場合は夫婦仏仕です。

12月は檀家さんのお宅にお札三枚と来年のカレンダーと暦を届けてます。
私が嫁いだころは夫一人で回っていたの思います。
それが、娘達が小さいときは娘達を子守がわりに同乗させてましたが、
パパとドライブだと喜んでいたのは幼稚園児、低学年の頃の事で・・・
誘っても「行かない」と、断るようになり・・・
もともとは一人で回っていたのに、娘達と行くと言う事をしてしまったので、
一人で行くのはさみしいと・・・(笑)
気付いたら私が同乗することに・・・
娘達の場合はただ助手席に座っているだけですが、これが私となると、
「車の方向転換しているうちに、配ってくれ」と、・・・
夫が運転手、私が配るという構図になってきた・・・・
運転は大変ですが・・・配る私はもっと大変だとは思いませんか?
雨の日も雪の日も、車から降りて(たとえ、門の前でも)玄関まで小走りします。中には門から玄関まで遠いお宅もあります。
これが・・・一日に30件、40件ともなると・・・足腰にきます。

実は・・・昨日はその日でした。
午後から納棺、出棺、夜は通夜式もあるので・・・午前中は少しのんびりしていた夫ですが・・・

『行くよーー!!』って・・・尻を叩いて誘い出しました。

というのは・・・時間があるときに少しでも配らないと・・・
後が大変だから・・・

昨日は腰も足も痛くてクタクタでした。

夜は早く寝ようと思っていたけど・・・NHKのドラマが最終回だったから・・・
それを見たから、ついでにDVD、FBI事件モノ「ナンバーズ」を見ていたら深夜になっちゃった・・・

告別式

葬儀の流れは、富山と変わりない感じでしたが・・・・  
 
なにせ・・・・寺側の立場しか知らないので・・・・義妹に教えてもらう事も多々あり・・・・  
 
自分は常識あると思っていたけど・・・地域の常識には疎かった・・・  
 
10時から告別式ですが、その30分前から次々と弔問客が来られて線香をあげる・・・  
母を探す・・・喪主なんだから、先に座って、線香をあげる方に挨拶(目礼)しないと・・・母さん、悲しみに慕っている間もありません。  
ションボリと小さくなった母・・・  
弟1にも、「母さんの横に座っていて」と、お願い?命令? お姉ちゃんが威張るのは今日が最後かも・・・  
 
父の遺影は花畑が背景で・・・・まるで遺影には思えんない・・・  
11年前に隠居を機に、写真館で撮ったらしい・・・お気に入りのネクタイは母からのプレゼントなのかな・・・誰かのプレゼントなのかな・・・  
祭壇は大好きな花に埋もれてました。  
 
葬儀が始まり・・・  
こちらは地域の方が葬儀委員長となり、父の経歴などを話して下さいます。  
これは・・・富山とは違いますね。  
その後、導師入場、お経や焼香・・・弔辞、弔電など・・・  
順番は覚えてません。  
 
導師が退場した後に、お棺を前に出して、  
 
みんなで思い出の品や花を入れます。  
こちらの習慣? 花は白い菊だけ?  
 
父さんの好きな胡蝶蘭とか・・・紫の花とか・・・  
祭壇の生花から引っこ抜いて入れた・・・  
 
たくさんの会社や親せき、夫も生花籠を供えたけど・・・  
この町では・・・この花は葬儀屋が持ち帰って、農協で一束500円で売るらしい・・・何か・・意味があると信じたい・・・  
 
(ちなみに・・・富山では弔問客に自由に持ち帰ってもらいます。)  
 
 
・・・だから、勝手に花を抜いたら注意されるらしい・・・  
・・・こちらの親族が供えたものなのに・・????  
だから、私は堂々と抜いて、父の棺桶に入れました。  
 
その迫力には葬儀屋さんも何も言いませんわ、むしろ、一緒に父の好きな花を抜いてくれた・・・ありがとう。葬儀屋のお兄ちゃんも人の子ですね。  
感謝します。  
 
父には最後には「ありがとうございます。ようなら」と、言いました。  
 
『お姉さん、霊きゅう車に乗って』と・・・  
本当は母と弟12と弟1の長男が乗る予定だったけど・・・  
弟2がバスに乗った・・・  
初めての霊柩車・・・  
 
寺を出発して・・・父が40年近く働いた職場の前で停車・・・  
そして・・・自宅の前も通り・・・自宅の前でしばし停車・・・クラクションで自宅とお別れ・・・  
 
そして・・・父が棟梁として建てた・・・町の火葬場に到着。  
 
本当に最後の最後のお別れです。  
焼香して・・・お別れ・・・  
 
富山では、ここでも僧侶のお経を読みますが・・・  
 
罐に入り・・・戸が閉まり・・・  
 
みんなが食事のために部屋に移動後・・  
 
それまで泣いてなかった弟2が号泣・・・昨夜、号泣していた甥が  
しっかりと父親を支えていた・・・  
 
食事のお弁当・・・たくさん残っていた・・・  
もったいないから持ち帰ろうと思ったら、弟2のお嫁さんが  
 
「ここで残ったものは、すべてここで処分する決まりなんだよ」と、教えてくれた・・・  
 
不幸を持ち帰らないという事らしい・・・  
 
あっ・・・弟1の嫁さん、二個持ち帰るつもりらしい・・・  
 
まっ・・・いいか・・・しらない・・・  
 
骨拾い? 骨あげ?  
 
本当に骨だけになっちゃった・・・  
 
40人近い人たちが父の骨を箱に入れた・・・  
 
骨かめがないの????  
 
こちらでは・・・納骨の時に、寺から骨かめを買うらしい・・・  
 
ここも富山とは違う・・・富山は戒名が決まったら、その段階で骨かめにお題目と戒名などを僧侶が書きます。  
 
父さん・・・ありがとう。本当にお別れだね。  
 
バスで寺に戻り・・・  
 
今度は寺で繰上げ初七日法要・・・  
 
そして・・・法要後は、お手伝いの方にお礼の品物(お米)と商品券を渡して、帰り願う・・・  
 
残った遺族で・・・お寺の控室などを掃除する。  
本堂は葬儀屋さんがする。  
トイレと台所はすでにピカピカになっていた・・・  
町内のお手伝いさん、本当にありがとうございます。  
 
台所には朝食用に用意した納豆と海苔と漬物が残っていたので持ち帰る。  
 
父の弟をホテルに送迎して・・・  
 
私は弟2と一緒に自宅に戻り・・・  
すでに、父の遺骨は自宅の祭壇に供えてあった・・・  
父に焼香して・・・ため息出て・・・最後の大泣きして・・・終わり。  
 
 
 
父さん・・・遺言書いたって・・・私に言ってたけど・・・  
 
どこにあるのやら・・・・(笑  
 
父のこまごました荷物は倉庫と車庫の中らしい・・・  
 
釣竿だけでも30本もあり・・・釣り道具の整理だけでも何日もかかるのかも・・・  
 
私は一抜けるよ。  
 
翌日には富山に帰るのだから・・・  
 
夜七時に・・・疲れたので父のベットて寝た・・・  
 
で・・・十時に起きて・・・風呂に入って・・まだ起きていた弟2の嫁さんと・・・夜中の三時まで話した・・・  
 
父を助けれなかったこと、父に辛い治療をしたこと・・・  
素人で何もわからず医者の言いなりだった・・・  
お姉さん、私たちに遠慮して口を出さなかったのでしょう?と、  
 
泣きながら謝罪をうけた。  
 
私こそ・・・嫌われ者になってもいいから・・・もっと口出しをすれば良かった・・・  
 
みんな・・・お嫁さん達に任せたまま・・・本当に申し訳なかった・・・  
 
どんなにか・・・板挟みで辛かった事か・・・  
 
父の葬儀を・・・・こんなに立派に・・・いい葬式をしてくれて・・・  
 
感謝の気持ちでいっぱいです。  
 
残された私達か仲良く、父を偲ぶのが・・・・きっと、一番の供養です。  
 
たいした財産も残せなかった父ですが・・・・それ以上の大きなものを残してくれたと・・・  
 
 私こそ・・・感謝してます。
 
ありがとうございます。  
 
そう思ってます。  
 
 
 
 

通夜

午前中はチョットのんびりと父との別れを惜しんでました。  
弟2は泊まった従兄を連れて近くの温泉に行きました(なにせ、深夜まで飲んでたのでお風呂に入ってなかったから)。  
私は弟1の住まいの風呂を借りてサッパリさせてもらいました  
 
午後三時半は湯灌して・・・四時過ぎには出棺の予定・・・  
お留守番の方二人も見えて(町内会)  
 
湯灌の方は女性でした。髭も剃ってくれなくて・・・大雑把な感じ・・・  
映画とはえらい違い・・・  
富山だって、もっと丁寧だぞ・・・・なんて泣きながら思った私。  
 
思い出の品を入れて下さい・・・と・・・  
 
エッ・・・今?入れるの? 慌てて鞄から出そうとするが・・・  
鞄が見当たらない・・・焦っている私に、「明日でもいいです」と・・・  
 
実際は通夜の後、コッソリと祭壇に上り、棺桶の蓋を開けて、  
父の胸元に手紙と日蓮宗の教本を入れておきました(父は曹洞宗)  
だって・・・父は日蓮宗のお経が大好きだったから・・・(曹洞宗さんごめんなさい)  
 
通夜は菩提寺の「禅龍寺」  
 
とても大きな寺でして・・・大きな会場に大きな遺族控室、その他好意で  
着付け用の和室も貸して下さり  
 
台所も大きくて、どこかの旅館の厨房みたい・・・・  
食堂も広くて、いっぺんに30人か40人は食べられるかな・・・  
 
ここからが・・・・大戦争のような・・・・  
 
 
次々と来られる親族の出迎えとか食事の誘導は長じゅばんのままの義妹達の仕事? ってわけにもいかないので・・・  
私に「お姉さん、おねがーーい」と・・・  
さっきは、先にご飯食べろって言ったのに・・・半分も食べてないぞ・・・  
本堂入口で親せきのお出迎え・・・  
 
お悔やみの挨拶もそこそこに・・・荷物を遺族控室においてもらって・・・  
食堂に誘導するものの・・・  
小さな子はおしっこだのなんだのって・・・そんなスムーズにいかないで・・  
待っている間に、次の親せき家族・・・又、次の親せき・・  
 
高速道路の交通事故で渋滞して、通夜に間に合わないけど、お弁当六個取り置きしていて・・・と、電話があり・・  
 
お弁当が足りるのか?  
 
父の甥や姪の他・・・その連れ合いに子供達も来られる・・・  
 
おーい・・・施主の弟はどこに行った???? 弁当の追加は出来るのか?  
 
早く手を打たないとと、・・・探す・・・見つけたけど・・・  
 
葬儀屋と打ち合わせかい・・・弁当足りないかもと報告すると  
 
「嫁に言ってくれ」と・・・  
 
嫁は着付けの真っ最中だぜ・・・  
 
厨房にはお手伝いさんが10人程・・・  
 
後は受付のお手伝いの男性が10人ほど・・・  
 
まてよ・・・駐車場の整理しているのは? 弟の会社関係?  
 
全部で30数名ときいていたし・・・  
 
この方たちにもお弁当を食べるようにせかして・・  
 
残りの数を把握しないと・・・足りなかったら、食堂に出前でも頼むとか・・  
 
寿司屋に助六を頼むとか・・・なんとかなるのですが・・・  
 
通夜が始まる頃にはぐったりでした。  
 
 
それにしても・・・父さんは七人兄弟の長男なので、父さんの方だけで甥と姪が17人もいます。来られない方もいますが・・・  
それぞれの連れ合いと、その子供達も入れたら・・・すごい数です。  
 
又、母も六人兄弟の末っ子なんで、母方の兄弟は高齢でこれなかったり、すでに亡くなった方もいますか・・・  
その子供達が代表で何人か来られて・・・  
 
父の死をともに悲しんで下さった・・・  
 
父がどんなにか、生前、みんなを可愛がっていたか・・・私の知らないエピソードの数々を話されて・・・  
父ってやっぱりすごいと思いました。  
 
父は自分の血の繋がっていない、母の甥や姪にもわが子のように可愛がっていたらしい・・・  
 
私が子供が大好きなのは、父の姿を見て育ったからなのかな・・・・  
 
通夜には・・・用意した椅子が足りないくらいの弔問客でした。  
 
通夜が終わり、親族だけでの通夜ふるまい・・・・酒盛りですね。  
 
貸布団が40組・・・足りないくらい・・・  
 
本堂に大半は寝ましたが・・・控室と着付け室に布団を運んで寝たもの・・・  
 
そうそう・・・椅子を仕舞う、物置で寝た男性もいました(笑  
人がいたら眠れないそうで・・・・寒くないのかい??  
 
ちなみに・・・私は朝方まで起きてました。  
弟1の息子がビールを飲みながら、布団の間を行進した後、  
 
父の白位牌を持ち出して・・・それを抱えて、父の遺品の釣り用帽子(ライト付き)をかぶり、ライトを点けて・・・  
 
「和枝おばちゃん・・・・この戒名はいくらするの?」  
「なんで、自分の名前で葬式をしちゃいけないの?」  
「じいちゃんの名前、僕、好きなんだ・・・こんな難しい名前は嫌だよ」  
 
泣きながら彼は言いました。  
 
「そうだよね」「仏様に頂戴した名前なんだよ」「でも、俗名で呼んでいいんだよ」  
 
又、別の甥も、直会のお手伝いで頑張っていたのですが・・・・  
張りつめていた糸が切れたのか・・・廊下で大きな声で泣き始めた・・・  
「爺ちゃんと、一緒に飲みに行くって約束したのに・・・」  
父は携帯電話の短縮ダイヤルの三番目にこの甥の番号を入れていた。  
一番は母のいる自宅、二番は内娘孫のMちゃん、そして三番目に外孫のこの子・・・  
 
一番、飲みたかったと悔やんでいるのが・・・じいちゃんかもしれない・・  
おばちゃん達、助けてあげれなくてごめんね。  
あなたたちにとっても、大事な爺ちゃんだものね。  
たくさん泣いてもいいよ。  
でも、明日は笑顔で見送ろうね。  
 
そういったものの・・・・最初から最後まで泣いていたおばゃんです。  
 
それぞれが・・・それぞれの思いで悼み耐えた一晩でした。 
 

お逮夜

父の訃報にさいして、沢山のお悔やみのコメント、メッセージ、メールを頂き、ありがとうございます。  
レスも出来ず大変失礼しました。  
 
昨日、富山に帰宅しました。  
 
(ここから・・・今後のための覚書)  
 
今まで、寺側の人間として数多くの葬儀を経験してましたが、  
遺族側の立場になったのは初めてでした。  
実際には祖父の時は中学生でしたし、祖母の時は参列してなかったから・・・  
 
11日に父が亡くなったと連絡が入り、翌朝の便で北海道に向かいました。  
富山に住む従妹も同時に旭川の従兄の元に飛び、翌日に実家斜里町に来られました。  
飛行機を乗り継ぎ女満別空港に到着、弟2が迎えに来てました。  
「姉貴と同じ飛行機に茨城県の母方の従兄が乗っていたはずなんだけど、顔がわからなくて・・」と、  
 
それなら網走駅行のバスに乗りかもしれないので、バス停を見ると・・・  
それらしき年齢(警察を退職されて数年)で、それらしき体型(柔道の有段者)の方を探す(私も高校生以来会ってないから自信ない・・)・・・  
すると・・・それらしき男性が、「和枝ちゃん?」と、声を掛けてこられた・・・  
昔と変わらなかったからわかったと・・・(メチャ喜んでる私)  
一緒に実家に直行しました。  
 
後で知ったのですが、網走のホテルにでも泊まって、通夜に間に合うように寺に直接に行く予定だったのに・・・私たちが実家に連れ込んだので、  
反対に迷惑だったかも・・・下戸なのに、実家の弟達や甥達とのお逮夜の酒盛りに付き合わされて真夜中まで寝かせてもらえなかった・・・・(汗  
 
話は戻りますが・・・  
 
父は仏間に寝てました。死んでるとは思えないほどに、いい顔してました。  
母や弟達家族に手を握られて、みんなに声を掛けられて息を引き取ったそうです。  
私の携帯電話からの声も届いたと母が言ってくれました。  
その前日には父の妹家族も見舞ってくれて、最後のお別れができたそうです。  
父の顔にほおずりしたら、アイスノンのように冷たかった・・・  
これが現実なんですね。  
父の枕元には、各方面から届いた「枕花」  
小さな花かごのようなものが九つも並んでました。  
父を慕っていたたくさんのお友達や知人がいた事に、父はいい晩年を過ごしたと思いました。  
仕事を引退したのが70才。その後、11年間は「鮭釣り」「社交ダンス」「パークゴルフ」「旅行」「老人会の役員」「花作り」「母の家庭菜園のお手伝い」  
富山にも何度も遊びに来ましたね。来年は夫の住職お披露目式に参加するって約束したのに・・・  
 
12日の夜は父の足元に布団を敷いて寝ました。  
六畳間二室の客間の一つに父が眠り、もう一つの部屋には箪笥とかミシンがあり、布団を三枚敷くのが精いっぱい、そこに甥二人と弟2と私と弟2妻が寝ました。書いた順番なんで・・・弟2と45年ぶりに一緒に寝たって事ですかね。  
寝たと言っても深夜まで飲んでたから、三時間ほどですが・・・  
甥達が線香が切れないように交代で番をしてました(線香守り)  
ちなみに弟1家族はは別棟の住まいに(廊下で繋がっている)。  
 
母が喪主で弟1と2が施主でした。  
お弁当の手配から数の予測、香典返しの数とかお手伝いさんへのお礼の品、商品券、お布団の手配と数の予測・・・  
電話で事前に花供物のお願いが来るので、それらを葬儀屋に連絡するとか・・・  
ひっきりなしに電話や来客があり・・・弔電が届いたり、現金書留で香典が届いたりの応対・・・  
私は他に嫁いだ小姑なんで、口も手も出さないぞ・・・・って思っていたけど・・・・  
気付いたら、口がたくさん出てました(汗  
弟達も「お姉さん、どうしたらいいの?」って聞いてくれるものの・・・  
ごめん。富山と北海道ではやり方がまったく違うのですわ。  
その夜は、弟1は町内会と打ち合わせもあり、なんとか形が整ったみたい。  
 
あたふたしながら・・・・12日は終わりました。  
 

奇跡は起こらなかった

朝、六時過ぎに母から電話。

父さんは、もうダメだわ。足も冷たくなってきた・・・

義妹に携帯電話を父さんの耳に当てるから、お姉さん話しかけて・・・と、

「父さん、父さん、和枝だよ。父さん、ありがとう。ありがとう。

わかる? 和枝だよ。父さん、父さん、聞こえる? 和枝がここにいるよ。

ありがとう。ありがとう…・」

父さん、聞こえたのかな?

いったん、電話が切れた・・・

夫が「七時には空港のカウンターが開くから、チケット買いに行こう」と、

眠っている息子も起こして空港まで行きました。

その車中に母から電話・・・・

6時48分に目を閉じたと・・・・

とうさん、ありがとう。

空港に行き、明日のチケットが買えました。



あれもしてあげれば良かった・・・もっと親孝行したかった・・・

反抗して心配もたくさんかけた・・・


母に勘当された時も、父だけはコッソリと連絡をくれた

普通は父親が勘当して、母親が隠れて連絡を取るのにね。

父からもらった、たくさんの手紙は今も宝物です。

茶封筒の手紙の中に聖徳太子がコッソリと入っていた事も一度や二度ではない

私の財布の中をコッソリと確かめて、お金を入れてくれた事もあった・・・

長女が生まれた時に、母と一緒に北海道から真っ先に飛んできた・・・

「どうしても辛かったら、子供と一緒に帰ってこい」と、10万円入った封筒を渡してくれた・・・

あの10万円は長女の名前で貯金してあるよ。

幸いにも帰りたいほどの辛い出来事もなかった・・・・

親が死んだのに・・・ネットしている・・・・・・

バカな娘です。

何かしてないと涙があふれてしまうから・・・

明日、会いに行くからね。

父さん、ありがとう。

あなたの娘に生まれて良かった・・・

何不自由なく育ててくれてありがとう。

一番心配していた・・・母さんの事は大丈夫だから・・・

兄弟三人で、全力で守るから・・・

今日が・・・山って・・・

あまりにもプライベートな事をブログに残すのもなんですが・・・

私の父の生きた証の記録でもあります

この記録が延々に続いてほしいのですが・・・

父の力も尽きそうです。

昨日の事・・・午前中の義妹でのメールで、良くはなってないけど、
悪くもなっていない・・・と、解釈していた私

連日の落ち葉掃除で肩がバンバンに張っていて、お氷の杭を打ちつけられたような・・・

そんな感覚に襲われていて辛かったので、近所にマッサージしてもらいに行った・・・

他のお客様の手前、携帯電話はマナーモードにしてバックに入れた・・・

マッサージが終わり車に乗り込み、携帯電話を確認したら

父の名前が・・・

父の携帯電話を母が使っているので・・・・

急いで電話をすると、

『さっき、お医者さんに、今度こそ覚悟して下さいと言われた・・もう母さんはあきらめたよ。

麻酔から覚めた父さんに声を掛けたら、目がうなづいた・・・

今日は修一(私の弟)の誕生日だよ。って言ったら、目を動かした。きっとわかったんだ・・』と・・・

父は喉に穴を開けて人工呼吸器をつけたものの・・・・

肝心の肺の機能が低下して・・・・このままではダメらしい・・・・

私が三回も会いにきてくれた・・・・と、父さんはすごく喜んでいたそうです。

『かずえ・・・もう、あきらめよう』と、母

「そんなこと・・・言わないで」と、電話を切ったけど・・・・

夜には義妹からも、厳しい状況だとメールが入った・・・・

すぐに飛んでいけない・・・・遠すぎるのと・・・・

息子の事がある・・・・

とても連れては行けない・・・・

明日は夫も早朝から夜まで予定が詰まっていて・・・・

息子が寝てから・・・・夜行バスで上京し・・・・羽田から飛行機で行こうか・・・

そんな事を考えております。

奇跡は起こらないのか・・・


父の病気が見つかったのは三月の初め・・・どこの病院にかかろうかと検討していた矢先に

東北の大震災があり、大勢の方が亡くなった・・・

父は若い人や子供がたくさん震災で亡くなった、そんな時に自分は病院を選ぶなんて

そんな贅沢は言えないと・・・・

地元の病院にしたのです。

なんて立派なんだろう・・・・私のほこりです。

でも、そんなかっこいいこと言わないで、命に貪欲になって大学病院でも行けば良かったのに・・・



ううん・・・どんな病院にかかろうが・・・父の寿命は決まっているのかもしれない・・・

最後はどうなるかわかりませんが・・・・

父が亡くなろうが、生きていようが・・・私は父を想います。

大好きな父を永遠に思い続けます。

 諸行無常

大好きな方が亡くなった・・・

父の話ではありません。

檀家さんのおばあちゃんです。

遠いところ、いつも電車を乗り継いでお寺の行事には毎回参加される。

家庭菜園が趣味でいろいろな野菜を作っては、月忌参りに伺う夫に持たせて下さる。

手作りの紫蘇&ぶどうミックスジュースは格別に美味しかった・・・・

無農薬の野菜を楽しみにしていました。

「お姉ちゃん達は、いつも偉いね。可愛いね」と、

行事の手伝いをしている娘達におこづかいを下さった事も何度もあり・・・・

娘達も大好きな方でした。

それが・・・・畑で倒れているのを発見されて・・・・

すでにこと切れていたらしい・・・

司法解剖に出されたのと、友引も重なりお葬式は随分と延びた・・・

よくポックリと逝きたいと、おっしゃっていたけど・・・・

本当にそうなっちゃった・・・・

でも、誰にもお別れ出来ないで逝っちゃったね。

父との事が重なり、一気に涙腺が決壊してしまい・・・・

涙が止まりません。

どうか・・・安らかにお休みください。



一心不乱に・・

実家の父の容態が良くないと・・・・聞いて数日間

28日に別れてきたときは、元気な顔で見送ってくれたのに・・・

羽田空港で四時間の待ち時間があるから、池上本門寺に寄ると話していた・・・

そのお寺に到着したのが四時過ぎていて、外は薄暗くなっていた・・・

富山までのフライトまで余裕あるのでのんびりとお参りしていたら、

母から電話があり、

「今、どこ?まだお寺に居るの?もう暗いからと、父さんが心配しているから空港に戻りなさい」という

50も半ばの娘を、81の父が心配している・・・・ごめんね。親不孝して・・。

『わかった、今、タクシー拾って戻るから』と、答えた・・・

たしかに・・・あのときは、電話の向こうの父は元気だったはず・・・・

その翌々日には容態が悪くなったらしい・・・

ウソッ・・・・と、絶句した。

私が買ってあげた電気シェーバを、あと三年は使うと約束したよね?

来年のPAPAの入寺式には、富山に来ると約束したよね?

春には姪が出産する・・・初ひ孫を抱きたいって言ったよね?

私と、私が生まれた浜益村に一緒に行くって話したよね?

孫娘は富山にもいるんだよ。こっちの孫娘の花嫁姿も見たいでしょう?

たくさんたくさん話したよね?

もっともっと話したいよ。

管につながれて苦しいでしょうが・・・・まだ・・・別れたくないよ。

生きていてほしい・・・・あきらめないでほしい・・・


昨日は父さんの事だけ考えて・・・・旦那と二人で落ち葉掃きしたよ。

小雨も降っていた・・・・なかなか綺麗にならなかった・・・・

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師走だね

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今日は寒かったです。
気付けば・・・12月・・・・師走突入ですね。

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張り切って落ち葉掃きをしたものの・・・・小雨状態でして・・・
綺麗に掃けなくて…30分でリタイヤ・・・

午前中は京都の和公舎さんが来られて、先々月に出したお衣と袈裟のクリーニングが出来上がりました。
街のクリーニング店よりは、料金はお高いのですが、シミもきれいに抜いてくれて・・・・
小さなほころびや、糸釣りも見つけてくれて修繕もしてくださいます。
事前に見積書を送ってくれるので安心です。

って・・・・ここでプチ宣伝したりして…・(笑い

ところで・・・写真に写っている猫ちゃんは、

前日の写真の「ぶんた君」のお母さんです。

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bunmamaco

Author:bunmamaco
在家からお坊さんのお嫁さんになって20年。
まだまだ未熟な寺嫁の奮闘記(*^。^*)

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