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最後の晩餐?

義父が亡くなった時に、病院から引き揚げた荷物を、先ほど整理した。
亡くなる三日前に差し入れたグリコのピスコと小さな源氏パイ。
義父はピスコが好きで、食欲の無い時でも少しずつ口に入れて時間をかけて食べていた。
先ほど、ピスコの箱が開封されている事に気づいた・・
五枚入りが三パック入りなんだけど、二パックが残っていた・・
ということは・・・一パック、五枚を食べたって事た・・・
病院の食事を一切拒否して、水しか飲んでなかったけど・・・
ピスコを食べてくれたのだと思うと・・・
最後の食事がピスコだったのか・・・・
ピスコを食べてくれていた事が嬉しかったけど・・・
哀れで辛くなった・・・

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そして・・・現実な事が・・・・

義父の40年分の手帳が出てきた・・・
几帳面だったから・・・・

いいこともわるいことも・・・たくさん詰まった・・義父の歴史
生きた証

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義父

義父は一月に入ってからほとんど何も食べなくなり、

キャラメル味の栄養ドリンクと水と・・腕からの点滴で生きていた

食道にはステントを入れたので食べ物が通過するはずなのに・・・

詰まっている、食べれない、吐いてしまうと・・・・

お医者さんも首をかしげていた・・・・

食道が広がっても、義父は食べる事を拒否していたのかもしれない・・・

腕からの点滴は200カロリーもなく、一日に必要な分を摂取するには24時間点滴をしないと

追いつかない・・・・それは無理・・・心臓に負担がかかるから・・・

それで・・・肩からの静脈から太いパイプょ埋め込み、高カロリーの栄養を送る・・・

その手術を1/29にしました。

それにはリスクもある・・・太いのでばい菌が入ると大事になるとのと・・・

まれに栄養が逆流して顔が腫れる・・・肺に入る・・・等・・・・

義父の為にと行った治療ですが・・・・

多分、5/3の未明に逆流して肺に入ったのでは・・・・そして呼吸が止まった・・・・

リスクを説明されていたものの・・・・そんな事、めったに起きないと思っていた・・・

想定外の事なのか?主治医もあわてていた・・・・

1/27だったか・・・・

義父が私に言ったことが

自分の葬儀の事・・・・初七日は家族だけでいいとか・・・

北海道からは遠いから呼ばなくてもいいとか・・・

寺は「お前が守ってくれ。細かい事(事務とか会計とか)はお前でないとだめだ」と・・・・

その他、息子の事、娘達の事を話した・・・

あんなに彼女の家に帰りたいって言ってたのに、ほとんど言わなくなって・・・

「寺に帰りたい」って言うようになった・・・

『早く食べれるようになったら、寺に帰れるよ。一緒に又ビール飲もう。

又、喧嘩しよう。喧嘩相手がいなくなってさみしいよ』って言うと・・・

「もう、お前と喧嘩する元気ないわ」って・・・・

二人で病室で泣いたっけ・・・・

食べれるようになっても、癌治療があるから退院なんて当分は無理だって・・・

義父は知っていたんだね

身体支えて、栄養剤を飲ませたとき、義父の骨が私に刺さるかと思うほどに痩せていた・・・

主のいなくなった部屋・・・・爺さんの部屋1


爺さんの部屋2


ソファのあった所に介護用ベットが置いてた。
あれはレンタルなんで、亡くなったと連絡したら翌日に回収していきました。

義父遷化

二月三日午前六時十分に義父が遷化しました。
その前日の夕方に長女と病院に行った時は、会話もしたのに・・・
その12時間後に急変したようです。
その前から義父は死にたがって・・・点滴と食事を拒否していたのです。
もう痛いのは嫌だ・・・これ以上、こねくりまわさないで欲しいと・・・
かなり衰弱が激しくて、それで肩の静脈から太い管で高カロリーの栄養を送っていたのですが、
そのリスクの一つが的中したようです。
こんなに早く逝っちゃうのなら・・・・もっと顔を見せれば良かった・・・
ぶんちゃんを連れて行けば良かったと後悔してます。
ノロだの・・ロトだの・・・風邪だのって・・・ぶんやが病気ばかりしていたから・・・
連れて行かなかったのですが・・・・
お父さん、前日に私と話した時に、「ぶんに会いたい」って言ってたのに・・・・
ごめんね。

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この山門不幸の看板・・・葬儀屋さんが設置の為に、山門下にチヨット置いていたところ・・・

父の弔問に来られた親友(他宗派さんの和尚)が車でバリバリと踏み潰しました(笑)

修復して立てました。

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そして・・・その親友の和尚の弔辞です。泣けました・・・・。
さすが・・・お坊さんです。話が上手でした。


遷化したのが三日
通夜が七日、
荼毘式が八日・・・
この五日間・・・・大変でした。
荷物の片付けと葬儀の準備や・・・打ち合わせ・・・
たくさんの僧侶の方のお布施とかお礼とか・・・お車代とか・・・・
お金を用意して、封筒に詰める・・・
寺院名簿を作るとか・・・県外の檀家さんにお知らせする葉書を印刷して投函するとか・・・
県内の檀家さんには総代さんが電話してくださいましたが・・・
後で思えば、抜けてる所が多くて・・・

写真が前後したけど・・・・通夜の後・・・
通夜振る舞いの時の次女と息子

おじいちゃんの通夜なのに・・・ピースは無いだろう・・・

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八日は・・・
睡眠三時間で起きて、お茶を沸かしたり、最終掃除のモップかけと、トイレの掃除。
トイレは合計小便器も含めて九つ(笑)
7時にFriendの高田京子さん、到着。喪服の着付けと、頭をセットしてもらいました。
九時には総代さん方が次々お見えに、お手伝いのお寺さんも忙しく出入りされて、
娘達が家族の朝ごはんにおにぎりを作るも、私の分はなかった/ _ ;
ラップにご飯を少しくるんで、揉みワカメをつけて、台所で立ったまま口におしこんだ。
荼毘が始まる直前まで供生花、かご盛りなどのお金をお持ちになられるので、集金してました。
その後は時間刻み、
荼毘式、火葬場、一旦寺に戻り、繰り上げ初七日法要、御斎、遺族だけ火葬場に戻り骨拾い、そして又寺に、
 還骨式、一部の方のお見送り、
御斎には、総代さん方一部の檀家さんも出席されて
最後まで飲んで、宴会状態が五名ほど(笑)
私も喪服の和服から洋服に着替えて、一緒に飲んだら、
睡眠不足がたたり、具合悪くなり、少し横になる。
夜はぐったり。家族と弟二人、
ガストの宅配弁当たべて、風呂にも入らずに寝ました。

合格祝い













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食べた


とにかく・・・長女よおめでとう♪

来月から入学準備と自動車教習所と・・・忙しくなるね。

高校時代の最後を大切に・・・そしてエンジョイしてね。

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在家からお坊さんのお嫁さんになって20年。
まだまだ未熟な寺嫁の奮闘記(*^。^*)

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