10
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

お逮夜

父の訃報にさいして、沢山のお悔やみのコメント、メッセージ、メールを頂き、ありがとうございます。  
レスも出来ず大変失礼しました。  
 
昨日、富山に帰宅しました。  
 
(ここから・・・今後のための覚書)  
 
今まで、寺側の人間として数多くの葬儀を経験してましたが、  
遺族側の立場になったのは初めてでした。  
実際には祖父の時は中学生でしたし、祖母の時は参列してなかったから・・・  
 
11日に父が亡くなったと連絡が入り、翌朝の便で北海道に向かいました。  
富山に住む従妹も同時に旭川の従兄の元に飛び、翌日に実家斜里町に来られました。  
飛行機を乗り継ぎ女満別空港に到着、弟2が迎えに来てました。  
「姉貴と同じ飛行機に茨城県の母方の従兄が乗っていたはずなんだけど、顔がわからなくて・・」と、  
 
それなら網走駅行のバスに乗りかもしれないので、バス停を見ると・・・  
それらしき年齢(警察を退職されて数年)で、それらしき体型(柔道の有段者)の方を探す(私も高校生以来会ってないから自信ない・・)・・・  
すると・・・それらしき男性が、「和枝ちゃん?」と、声を掛けてこられた・・・  
昔と変わらなかったからわかったと・・・(メチャ喜んでる私)  
一緒に実家に直行しました。  
 
後で知ったのですが、網走のホテルにでも泊まって、通夜に間に合うように寺に直接に行く予定だったのに・・・私たちが実家に連れ込んだので、  
反対に迷惑だったかも・・・下戸なのに、実家の弟達や甥達とのお逮夜の酒盛りに付き合わされて真夜中まで寝かせてもらえなかった・・・・(汗  
 
話は戻りますが・・・  
 
父は仏間に寝てました。死んでるとは思えないほどに、いい顔してました。  
母や弟達家族に手を握られて、みんなに声を掛けられて息を引き取ったそうです。  
私の携帯電話からの声も届いたと母が言ってくれました。  
その前日には父の妹家族も見舞ってくれて、最後のお別れができたそうです。  
父の顔にほおずりしたら、アイスノンのように冷たかった・・・  
これが現実なんですね。  
父の枕元には、各方面から届いた「枕花」  
小さな花かごのようなものが九つも並んでました。  
父を慕っていたたくさんのお友達や知人がいた事に、父はいい晩年を過ごしたと思いました。  
仕事を引退したのが70才。その後、11年間は「鮭釣り」「社交ダンス」「パークゴルフ」「旅行」「老人会の役員」「花作り」「母の家庭菜園のお手伝い」  
富山にも何度も遊びに来ましたね。来年は夫の住職お披露目式に参加するって約束したのに・・・  
 
12日の夜は父の足元に布団を敷いて寝ました。  
六畳間二室の客間の一つに父が眠り、もう一つの部屋には箪笥とかミシンがあり、布団を三枚敷くのが精いっぱい、そこに甥二人と弟2と私と弟2妻が寝ました。書いた順番なんで・・・弟2と45年ぶりに一緒に寝たって事ですかね。  
寝たと言っても深夜まで飲んでたから、三時間ほどですが・・・  
甥達が線香が切れないように交代で番をしてました(線香守り)  
ちなみに弟1家族はは別棟の住まいに(廊下で繋がっている)。  
 
母が喪主で弟1と2が施主でした。  
お弁当の手配から数の予測、香典返しの数とかお手伝いさんへのお礼の品、商品券、お布団の手配と数の予測・・・  
電話で事前に花供物のお願いが来るので、それらを葬儀屋に連絡するとか・・・  
ひっきりなしに電話や来客があり・・・弔電が届いたり、現金書留で香典が届いたりの応対・・・  
私は他に嫁いだ小姑なんで、口も手も出さないぞ・・・・って思っていたけど・・・・  
気付いたら、口がたくさん出てました(汗  
弟達も「お姉さん、どうしたらいいの?」って聞いてくれるものの・・・  
ごめん。富山と北海道ではやり方がまったく違うのですわ。  
その夜は、弟1は町内会と打ち合わせもあり、なんとか形が整ったみたい。  
 
あたふたしながら・・・・12日は終わりました。  
 
Secret

最近のコメント

プロフィール

bunmamaco

Author:bunmamaco
在家からお坊さんのお嫁さんになって20年。
まだまだ未熟な寺嫁の奮闘記(*^。^*)

月別アーカイブ

リンク

ブログ内検索