08
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

告別式

葬儀の流れは、富山と変わりない感じでしたが・・・・  
 
なにせ・・・・寺側の立場しか知らないので・・・・義妹に教えてもらう事も多々あり・・・・  
 
自分は常識あると思っていたけど・・・地域の常識には疎かった・・・  
 
10時から告別式ですが、その30分前から次々と弔問客が来られて線香をあげる・・・  
母を探す・・・喪主なんだから、先に座って、線香をあげる方に挨拶(目礼)しないと・・・母さん、悲しみに慕っている間もありません。  
ションボリと小さくなった母・・・  
弟1にも、「母さんの横に座っていて」と、お願い?命令? お姉ちゃんが威張るのは今日が最後かも・・・  
 
父の遺影は花畑が背景で・・・・まるで遺影には思えんない・・・  
11年前に隠居を機に、写真館で撮ったらしい・・・お気に入りのネクタイは母からのプレゼントなのかな・・・誰かのプレゼントなのかな・・・  
祭壇は大好きな花に埋もれてました。  
 
葬儀が始まり・・・  
こちらは地域の方が葬儀委員長となり、父の経歴などを話して下さいます。  
これは・・・富山とは違いますね。  
その後、導師入場、お経や焼香・・・弔辞、弔電など・・・  
順番は覚えてません。  
 
導師が退場した後に、お棺を前に出して、  
 
みんなで思い出の品や花を入れます。  
こちらの習慣? 花は白い菊だけ?  
 
父さんの好きな胡蝶蘭とか・・・紫の花とか・・・  
祭壇の生花から引っこ抜いて入れた・・・  
 
たくさんの会社や親せき、夫も生花籠を供えたけど・・・  
この町では・・・この花は葬儀屋が持ち帰って、農協で一束500円で売るらしい・・・何か・・意味があると信じたい・・・  
 
(ちなみに・・・富山では弔問客に自由に持ち帰ってもらいます。)  
 
 
・・・だから、勝手に花を抜いたら注意されるらしい・・・  
・・・こちらの親族が供えたものなのに・・????  
だから、私は堂々と抜いて、父の棺桶に入れました。  
 
その迫力には葬儀屋さんも何も言いませんわ、むしろ、一緒に父の好きな花を抜いてくれた・・・ありがとう。葬儀屋のお兄ちゃんも人の子ですね。  
感謝します。  
 
父には最後には「ありがとうございます。ようなら」と、言いました。  
 
『お姉さん、霊きゅう車に乗って』と・・・  
本当は母と弟12と弟1の長男が乗る予定だったけど・・・  
弟2がバスに乗った・・・  
初めての霊柩車・・・  
 
寺を出発して・・・父が40年近く働いた職場の前で停車・・・  
そして・・・自宅の前も通り・・・自宅の前でしばし停車・・・クラクションで自宅とお別れ・・・  
 
そして・・・父が棟梁として建てた・・・町の火葬場に到着。  
 
本当に最後の最後のお別れです。  
焼香して・・・お別れ・・・  
 
富山では、ここでも僧侶のお経を読みますが・・・  
 
罐に入り・・・戸が閉まり・・・  
 
みんなが食事のために部屋に移動後・・  
 
それまで泣いてなかった弟2が号泣・・・昨夜、号泣していた甥が  
しっかりと父親を支えていた・・・  
 
食事のお弁当・・・たくさん残っていた・・・  
もったいないから持ち帰ろうと思ったら、弟2のお嫁さんが  
 
「ここで残ったものは、すべてここで処分する決まりなんだよ」と、教えてくれた・・・  
 
不幸を持ち帰らないという事らしい・・・  
 
あっ・・・弟1の嫁さん、二個持ち帰るつもりらしい・・・  
 
まっ・・・いいか・・・しらない・・・  
 
骨拾い? 骨あげ?  
 
本当に骨だけになっちゃった・・・  
 
40人近い人たちが父の骨を箱に入れた・・・  
 
骨かめがないの????  
 
こちらでは・・・納骨の時に、寺から骨かめを買うらしい・・・  
 
ここも富山とは違う・・・富山は戒名が決まったら、その段階で骨かめにお題目と戒名などを僧侶が書きます。  
 
父さん・・・ありがとう。本当にお別れだね。  
 
バスで寺に戻り・・・  
 
今度は寺で繰上げ初七日法要・・・  
 
そして・・・法要後は、お手伝いの方にお礼の品物(お米)と商品券を渡して、帰り願う・・・  
 
残った遺族で・・・お寺の控室などを掃除する。  
本堂は葬儀屋さんがする。  
トイレと台所はすでにピカピカになっていた・・・  
町内のお手伝いさん、本当にありがとうございます。  
 
台所には朝食用に用意した納豆と海苔と漬物が残っていたので持ち帰る。  
 
父の弟をホテルに送迎して・・・  
 
私は弟2と一緒に自宅に戻り・・・  
すでに、父の遺骨は自宅の祭壇に供えてあった・・・  
父に焼香して・・・ため息出て・・・最後の大泣きして・・・終わり。  
 
 
 
父さん・・・遺言書いたって・・・私に言ってたけど・・・  
 
どこにあるのやら・・・・(笑  
 
父のこまごました荷物は倉庫と車庫の中らしい・・・  
 
釣竿だけでも30本もあり・・・釣り道具の整理だけでも何日もかかるのかも・・・  
 
私は一抜けるよ。  
 
翌日には富山に帰るのだから・・・  
 
夜七時に・・・疲れたので父のベットて寝た・・・  
 
で・・・十時に起きて・・・風呂に入って・・まだ起きていた弟2の嫁さんと・・・夜中の三時まで話した・・・  
 
父を助けれなかったこと、父に辛い治療をしたこと・・・  
素人で何もわからず医者の言いなりだった・・・  
お姉さん、私たちに遠慮して口を出さなかったのでしょう?と、  
 
泣きながら謝罪をうけた。  
 
私こそ・・・嫌われ者になってもいいから・・・もっと口出しをすれば良かった・・・  
 
みんな・・・お嫁さん達に任せたまま・・・本当に申し訳なかった・・・  
 
どんなにか・・・板挟みで辛かった事か・・・  
 
父の葬儀を・・・・こんなに立派に・・・いい葬式をしてくれて・・・  
 
感謝の気持ちでいっぱいです。  
 
残された私達か仲良く、父を偲ぶのが・・・・きっと、一番の供養です。  
 
たいした財産も残せなかった父ですが・・・・それ以上の大きなものを残してくれたと・・・  
 
 私こそ・・・感謝してます。
 
ありがとうございます。  
 
そう思ってます。  
 
 
 
 

かずえちゃん、本当にお疲れさま。11日の10時ころ、母から連絡があったとき、仕事中でした。その日一日、頭の中が真っ白になり、泣きそうでした。母さんは、「電報で構わない」って言ってくれて、PCで手続きしても、とても落ち着かず、気が付いたら飛行機の手続きしてました。
俺の思いは、叔母さん、シュウちゃん家、ヨッチ家、かずえちゃん家から比べれば到底及ばないけど、幼いころの記憶を今でも覚えてます。

俺が小さいころ、お盆になると毎年の様に斜里へ遊びに行ったことを思い出します。俺の地元の十勝には海がなく、叔父さんは小さい俺を毎日海に連れて行き、海での遊び方をたくさん教えてくれた。カレイの捕まえ方、ウニの食べ方、一緒に流木につかまって泳ぎ回ったこと、叔父さんが手をつないで泳ぎ方を教えてくれたこと。「ウマいウマい。オリンピック出れるんでねぇか」って、あの笑顔で言ってくれたこと。海の中で目を開けても痛くないことも教えてくれた。「海の水な、涙とおんなじだから、痛くねぇんだ」って。それを俺が叔母さんに自慢げに話して「はるやちゃん頭いいわ」って言ってくれて賢くなった気分だった。幼い時の思い出と言えば斜里でことがまだまだたくさん思い浮かびます。一番印象的だったのは、帰る日の朝、曇りか雨の日、叔父さんが「はるや、海に行くぞ」って言って喜んでついて行こうとしたら、ウチの母が「寒いのに止めなさい、来年もまた来るから」っていって。でも叔父さんは「大丈夫だべや、海に入ればアッタまる」って強引に連れてってくれた。今思えば叔父さんも寒い中、行きたくなかったろうな、俺の為に最後の日だからって無理してくれたんだろうな?って思います。息子でもない、孫でもない俺に対して、いつも一生懸命接してくれた叔父さんが大好きだった。帰る日、必ず叔母さんが、「また必ず来てね、必ずだよ」って。すごく優しかった。斜里=叔父さん叔母さんだった。参列した叔父さん叔母さん方とたくさんバカ話したけど、斜里の叔父さんの事みんなが心底感謝してた。
出棺の時、泣いた、泣きまくった。叔父さんに最後の言葉を掛けたかった。ありがとうって。でも、叔母さん、兄弟家族の前では我慢しようって、後ろの方で押し殺した。今思えば、関係なかった。かずえちゃんと同じ、ああしておけば良かったと、小さい頃からたくさん「ありがとう」っていいたかった。いつも後悔しています。
斜里の家から帰るとき、いつまでもいつまでも手を振ってくれたことを思い浮かべます。あの笑顔は一生忘れません。
厚かましい長文でごめんね。

暖かくなったら黒部ダムに行くつもりです。その時にでも立ち寄れたらと思っています。かずえちゃん、ユキちゃんと笑顔で会える日を楽しみにしています。

はるや

はるや(いつものように呼び捨てでごめん)、遠いところ、父の見送りに来てくれてありがとうございます。
こんな時でないと、親族が顔を合わせることがないのも悲しいものですね。
不謹慎ですが、はるやや順一、おばちゃん、おじちゃんに会えてうれしかったです。
ああすれば良かった、こうすれば良かったと、悔いばかり残ってます。父の望むことをしていたのか・・・苦しめていたのでは・・と、考えると辛かったけど、痛い思いはしてないと母から聞かされて、せめての幸いです。
父の素朴さと優しさは、だれもが認めて下さるほど・・・
友達もすごく多くて、弔問客の多さにも驚きました。

父とはるやの思い出は、私は知りませんでした。はるやより、かなり年上なんで、私が家を出た後の事ですね。
読んで涙か出ましたよ。そして、その情景が目に浮かびました。
とても、言い話なのて保存して、母に読ませてあげます。
きっとよろこひけます。
そういえば・・・昔、父母の口からは「はるや」って聞くことが多かったです。
毎年、家族で墓参に見えている話をよく聞いてました。私なんて、めったに墓参にも行けず、皆さんに感謝してます。

又、斜里に行くことがあったら、母さんの顔を見に寄ってやってください。喜びます。お願いします。

今日は父の初七日・・・お参りには帰れませんが、富山の地でそっとお参りしました。

四十九日忌まで父の魂はこの世をさまよってます。きっと、みんなに会いに行ってるはずです。
はるやの事も、ご家族の事も見守っていると思います。
いつまでも父を偲んで、思い出して、笑顔で暮らして下さい。父の供養になります。

ツーリングで当地にお越しの時は、どうぞ立ち寄って下さい。

バイクが好きでバイク関係の仕事をされてるのが、弟の影響と聞いて、とても嬉しいです。
どうぞ、皆さんご健康に気をつけて・・・来年はいい年にしたいと思います。

叔父さん、叔母さん、相変わらず優しくて嬉しかったです。
叔父さん、最後まで丁寧にお骨を拾ってくれましたね。
みんな、みんな、ありがとうございます。

Secret

最近のコメント

プロフィール

bunmamaco

Author:bunmamaco
在家からお坊さんのお嫁さんになって20年。
まだまだ未熟な寺嫁の奮闘記(*^。^*)

月別アーカイブ

リンク

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。